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「花雪風」

先日、マンハッタンのラママという劇場で、東京キッドブラザーズ の関係する公演があるというので、見に行った。 公演は、芝居ではなく、演奏会といった感じのもので、 くたびれたような詩吟から始まって、最初の印象は、まあ悪くはない。
ところが、二つ目か三つ目の演奏が始まると、思いがけない記憶がよみがえってきた。 聞いた事のある曲なのである。 その記憶では、みんなで叫ぶように歌っている。 レコードなどで聞いた記憶ではない。 芝居か何かで、出演者が歌っているのをその場で聞いていたという記憶。 ところが、視覚的なイメージは全く浮かんで来ない。 遠い記憶の中で、姿のない若い役者たちが叫ぶように歌っている。 遠い昔から、時間を飛び越えて、歌だけが聞こえてくるような感じとでもいうのか。
「花雪風」というその曲を、今回は、一人で歌っていた(もちろん伴奏はついている)。 けれど、俺には、その昔の記憶と重なって、大勢で歌っているかのように、聞こえる。
遠い記憶を思い出す、というのは、不思議な感じがする。 何もおきはしないのに、わくわくするような、 それとは別に、ちょっと怖いような、そして、孤独なような。
たまにしかおきない不思議な感覚だった。

東京キッドブラザーズについての記憶はあまり確かのものはない。
確かなことは、40年ほど前に、渋谷にある、小さな劇場に、彼らの芝居を見に行ったこと。 あまりきれいではないその劇場は、渋谷の、駅の南西側になるのか、 国鉄の線路に程近いところだったこと。
確かなことは多分これだけ。
あとの記憶はあいまい。 行ったきっかけは、多分、あるロックバンドに関係している。 でも、そのバンドの名前が宣伝に出ていたから行ったのか、 それとも、ゴーゴー喫茶(かな?)での彼らの演奏の後で、ドラムをやっていた男から、 その芝居のことを聞いたから行ったのか、やはり記憶は、細かいところでは定かではない。 芝居の内容などに関しては、殆ど記憶にないけれど、イメージの記憶が一つだけある。 うす暗いステージで、ドラムスの若い男がたった一人で、ぱっとしない太鼓をたたいていたこと。 でも、このイメージは後から、俺の頭の中で作られたものかもしれない。 おおぜいの役者の出ていた芝居のはずなのに、そんな記憶は、きれいに何もない。 まあ、そのときには彼らの芝居について良い印象を持っていたような気はする。
確か、映画評論という雑誌(ずいぶん昔に廃刊になっっている)でも、 その編集長の佐藤重臣(やはりずいぶん前に亡くなっている)が、 この渋谷での公演を絶賛していたような気がする。
要するに、昔ある劇団の芝居を見に行きました、という程度のことで、 特に、かかわりがあるわけでもないし、何かのきっかけになったということでもない。

今回、劇場でわたされたパンフを見ると、 俺の知らなかったこと、忘れていたこと、がはっきりと書いてある。 渋谷での公演は、正確に40年前であること。 その年に、その後、彼らはマンハッタンのこのラママで公演したこと。 さらに続けて、マンハッタンのどこかで連続して公演を続けたこと。 リーダーの東由多加はもう10年ほど前に亡くなっていること。 他にも関係者が何人か亡くなっていること。
今回の公演には、当時と同じメンバーはほんの少ししかいなくて、 40年前には生まれてもいないメンバーも多いのだろうけれど。 そして、実際に「花雪風」という曲を俺が聞いたのが、本当に40年ぶりかどうか、 どこか別の機会に聞いていたことがあったのかどうか、確信はないけれど。 とにかく、昔は活発に活動していた劇団が、何十年もたって、メンバーも欠けて、 多くの別のメンバーで、何とかやっているのを見ながら、いろいろ昔の記憶をたどっていた。 たとえば、「旅芸人の記録」という映画のこととか。 やはり記憶は正確ではないけれど、その映画は、ギリシャの旅芸人の一座が、 何十年も、メンバーが替わりながら、芝居を続けながら地方を旅している映画です。 その旅の一座の「枯れている」人たちのイメージ。 たった今やっていることなのに、その中に、記憶の中の遠い昔のイメージが包み込まれている。

「花雪風」を聞いたのがきっかけになって、いろいろと、記憶をたどっていて、 次々と、イメージがわいてきていて、すごく気分は良かった。 でも、これは俺一人だけのイメージであって、周りの、他の誰もがこんな記憶を引きずっている わけではない。すぐ近くの客席には、小学生の子供も一人いたりして、 同じ公演を同じ場所で見ていても、まるっきり別の世界を見ているんだろうね。 気分は良かったけれど、少し、孤独な気持ちも混じっていた。



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